過剰適応と承認欲求と私 ⑶
こんにちは(*’▽’)
前回の続き。
承認欲求まみれで過剰適応な私。
大学卒業後は「焦り」から解放された。
一歩一歩進んでいた。
しかし、働いているうちにまた
「焦り」がかえってきた。そんな前回。
再出発
アルバイトは辞めた。
楽しく学びながら働くことができていたのは事実。
しかし、時間外労働や、やりがい搾取なところもあった。
そして、前回話したように世間の目、体裁を気にしてだんだん仕事がストレスになっていったことが辞めた主な理由。
それが約7年前のできごと。
療養後は、繋ぎのつもりでドラッグストアの短時間パートに。
レストランと違って、働きやすい労働環境に感動して今もその会社で働いています。
この時も、レストラン時代のように、周囲の人たちから
「なんでアルバイトで働いているの?」と
言われていた。
辛かった。焦った。
でも、レストラン時代と違ったのは
「私だめだ・・・」よりも
「私には私の事情があるの!!」と
心の中で言い返せるくらいには回復したし、心に余裕ができていた。
一回ふり出しに戻った事から、
働けるのが嬉しくて、尊くて、ありがたかった。
その「嬉しさ」「ありがたさ」という確固たる自分自身から生まれた感情があったから
周囲の声に惑わされなかったのかもしれない。
・体力や精神力がついてきたこと、
・短時間パートおよび残業なし。
・実家で家族のサポートをうけていた。
こういう要因や環境も心に余裕ができて、
精神的に安定しやすかったのかもしれない。
焦りと距離を置けるようになりたい
とは言っても、人間そんな簡単に性分は変わらない・・・。
今も周囲の目は気になるし、他人と比べて落ち込むし、
自分の価値観よりも他人の価値観を優先することはまだある。
でもこの7年でいろんなことを積み重ねていった、と思う。
主体性も乏しくて、自身の評価の軸を他人に置いていた。
そんな自分が今はだいぶ主体性が出てきて、
「自分の評価は自分でしてやる!」くらいの気持ちになっている。
だいぶ焦りと距離を置けるようになってきたし、
周囲の評価も気にならないようになったかも。(体調に左右されるけれども)
焦りと距離を置けるようになったのはどんなことが関係しているのか・・・
- ライフステージの変化や年齢を重ねることにより友達と会う回数が減った。それに伴って比較すること自体が減った。
- 自分をいじめることに飽きてきた。
(過去記事参照:https://suima14.hatenablog.com/entry/2020/04/17/195815)
- 日常の積み重ねで自分に少し自信がついてきた。
- 健常者と歩む道が違う。私には私の道がある、と思えるようになった。
- 自分がどんなことを考えて、どんなことを欲しているのか向き合うようになったら自分に軸があるような感覚になってきた。
- 病気や障害、性質について学んだら自分の行動や傾向がわかるようになり落ち込みにくくなった。
自己肯定感が低くて、主体性が乏しい私。
以前よりも、自分をいじめたり、焦ることが減った。ちょっとだけ。
心地いい日が増えた。ちょっとだけ。
以前は友達と話すと決まって落ち込んでいた。
それがかなり減りました。
これは私の変化ということだけではなく、
環境的変化もあるだろう。
でも、私自身が積み上げたもののおかげ、というのも認めてあげたい。
焦らない人間になりたいか?
ちょっと違う。
だって、人間そんな簡単に変わらない。
「周囲のことを気にして焦る」
きっとこれからもお付き合いしていかねばならない、私の一面。
それは精神面のコンディションでも変わるし、そんな一面のある私も受け入れたい。
焦りとは、きっと長い付き合いになりそう。
でも、できるならば自身の評価の軸を他人に置くよりも、
自分自身に軸を置いていけるようにしていこうと思う。
先のことはわからないけれども、
それが少しでも心穏やかに過ごせそうな気がするから。
過剰適応で、承認欲求まみれの私です。
これからの為に、
また、積み重ねていこうと思います。